〜ゆる文字誕生秘話

国際ゆるやか協会 代表の川嶋和則と申します。
日常の多くは、心と体のケアの仕事をしていますが、忘れもしません。
あの東日本大震災が起こった2011年3月。
当時はリアルタイムで被害の映像が毎日テレビでながされました。
私は滋賀に住んでいますので遠い地域での出来事でしたが、当院のクライアントさんのほとんどに、ある異変が起こったのです。


9割以上の方の「痛み」や「不調」が悪化しました。
おそらく…
毎日のようにテレビで目を覆いたくなるような光景を見たり、聞いたりすることで「不安・恐怖・悲しみ」などのネガティブな感情になることが多くなり、悪化したとしか言いようがありませんでした。
このままではマズいと感じた私は、体のケアだけでなく心のケアもするため「3冊の小冊子」を作成して、少しでも気持ちをゆるめようと考えました。
仕事が終わった後、手作業で冊子を制作し、配る活動を開始しました。
そのことがキッカケで、心と体がゆるむ文字。略して「ゆる文字」を世の中に発信し始めることになりました。
当時、世の中には「ゆる文字」という言葉は存在してません。
「ゆる文字」の歴史は、そこから始まったのです。

冊子を配り続けていると
「凄く良かったから、もっとください!」
「あげたい人がいるので、いただけませんか?」
「毎日、見ています。気持ちがホッとするんです。」
「これを見てると楽になるだけでなく、頑張ろうと思えるんです。」
「心も体も軽くなった気がします。」

などなど、嬉しいお言葉をたくさんいただくようになりました。
心と体が少しでも、ゆるむお役に立てていることを実感できる瞬間です。


そんなある日…ひとりの女性から
「この筆文字を教えていただくことはできませんか?」
と言われました。
私は「書家」でもなければ、本業でもないので時間もなく、お断りしました。
だけど何度もオファーをしていだき、その人数も増えてきて、断りきれなくなったのです。

観念した私は、休みの日を利用してお宅まで教えに伺うようになりました。
そんなことを繰り返しているうちに、口コミで広がり…
講座を主催してくださったり、某生命保険会社さんの支社を回って教えさせていただいたり、他県からのカルチャースクールや企業様からのオファーまで来るようになりました。

頼まれごとは、試されごと

私が尊敬する「中村文昭」さんの言葉を思い出し、可能な限り依頼を受けるようにしていきました。
そして気がつけば…年間のべ100講座くらいやるようになっていました。
また、朝日放送さんなどメディアで取り上げていただいたりするまでになりました。


多くの方々に「ゆる文字」という言葉を初めて使ったのはあなたなのに「商標」をなぜ?取らないの?と聞かれます。
そんな時はいつも、こう答えます。

書家の友人は何人かいますが、商標を取ったことで逆に自由に使っていただけないと嘆いています。ブランドを守ろうとすると、自分のものであっても不自由になるってことなんです。
私は書家ではないので「ゆる文字」というブランドを守ることが目的ではなくて、心と体がゆるむキッカケにしていただくて「ゆる文字」を伝えているので、自由に使っていただけないと目的が変わってしまうのです。
だから、私はあえて商標を取りませんでしたし、これからも取るつもりはありません。
ただ…学ばれた方は「ゆる文字の元祖」であることを誇りに思ってくださいとはお伝えしています。

「ゆる文字」活動の広がり

私がひとりで活動していても、たかが知れています。
有難いことに「ゆる文字」の趣旨に共感くださり「自分も教えてみたい」と言ってくださる方々が現れ、現在では「ゆる文字認定講師」が30名を超えました。
しかも!日本だけでなく「香港」でもゆる文字が広がっています。
私が代表を務める「国際ゆるやか協会」が認定しているのですが、世界でもストレスの多い国々が多く存在するので、日本以外の国々にもこの活動が伝わっていくことを心から願っております。

ゆる文字は「書道」ではありませんので
字の苦手な方でも、年齢性別関係なく
書いていただくことが可能です。

心と体がゆるむ仕組みになった文字
ですので、ほんの少しのコツを意識して
楽しく書いていただくだけでOKです。

さぁ!一緒に「ゆる文字」で心と体をゆるめませんか。

国際ゆるやか協会 代表 川嶋和則(かわしまかずのり)

国際ゆるやか協会代表
ゆる文字創始者
ストレスの調律師
健康事業各種主導